「利玄は、木下利永の次男で明治19年1月1日、この家に生誕。5歳のとき、伯父木下利恭(旧足守藩主・子爵)の養嗣子となる。
東京帝国大学国文学科卒業。和歌を13歳のときから佐々木信綱に学ぶ。
「白樺」の同人となり、アララギ派の作風にも親しんだが、やがて国語的発想による独自の”利玄調”を確立して形式主義打破につとめた。
大正14年2月15日鎌倉に病没、40歳。墓は足守の大光寺にある。 」
東京帝国大学国文学科卒業。和歌を13歳のときから佐々木信綱に学ぶ。
「白樺」の同人となり、アララギ派の作風にも親しんだが、やがて国語的発想による独自の”利玄調”を確立して形式主義打破につとめた。
大正14年2月15日鎌倉に病没、40歳。墓は足守の大光寺にある。 」
老朽化し 痛んでいた木下利玄生家の改修工事が完成し 4月より 開放されることになりました。
足守山下町内会・利玄生家愛護委員会に維持管理の一部を随意契約にて委託をしたいとの岡山市公園緑地課の意向を受けて 足守山下町内会臨時総会を開催いたしました。
経過を説明する 東原市議
賛成多数で維持管理を愛護委員会で行うことに決定いたしました。
詳細については 委員会にて立案し 定期総会におはかりすることになりました。
その後 現地を視察させていただきました。
表向きはあまり変化がありませんが、
母屋・長屋門ともに 手をいれられています。
母屋の内部です。 お殿様が使っていた部屋なので 刀を振り回しても大丈夫なように天井が高く作られています。
トイレも当時のまま。
母屋は機械警備を設置し 通常は見学できないようになっています。
外部からの見学は4月中旬から 金・土・日の9時半~16時30分の間に行うように計画されています。(現在 協議中です。)
この施設の整備の目的は観光ではなく 史跡を後世に伝え保存すること。 ということです。
せっかくの施設がもったいない気もしています。・・・・。
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